乳がん治療の記録【54】医療保険の手続きと流れ
私はがん保険と疾病保険に入っていましたので、保険会社からお金をいただくためには病院で診断書を作成していただき、それを保険会社にお送りせねばなりません。
診断書作成代は8800円です。2通だと17600円です。結構高い!
病院で診断書の作成を申し込み、出来上がるまでに1週間かかりました。診断書を保険会社にお送りし、こちらも1週間でお金をいただきました。
時間がかかるものなのではないかとなんとなく思っていたのですが、意外と迅速でした。
いただいたお金は大半は貯金と生活費にし、でも手術・入院をがんばった自分へのごほうびにも使いたいと思っています。
乳がん治療の記録【53】病理検査の結果
退院してから2週間後、久しぶりに病院へ。切除した乳房の病理検査の結果を聞きに行きます。
同室のMさんと再会しました。傷口のテープを言われた通りに手術2週間後に私はこわごわとはがした一方で、Mさんは3日後にべりっとはがされたそうです。私が「栄養を摂らねば」と日々あせっている一方で、Mさんは「ラーメンばっかり食べてるよ」と笑っておられました。違いすぎて面白いです。
左乳房の病理の結果は当初の予想通り、非浸潤がん(しこりになる前のがん)でした。しこりになっていないので、薬を飲むなどの他の治療は必要なく、また半年後に検診に来るだけでよいとのことでした。
しかしながら、乳管をにょろにょろと進んでいたがんは、7㎝×8㎝×深さ1.5㎝の広範囲に及んでいたそうです。皮膚にもかなり接近していたようです。
「進みの速いHER2陽性タイプのがんだとこういったことはよくある」と先生がおっしゃいました。早期発見・早期治療がいかに大切かを知りました。
治療が一段落したお祝いにお昼はレストランでステーキでも食べようかしらと思ったのに、やはり高いのでハンバーグにしてしまうところが私らしいのですが、こういうところも治療しないといけないと感じています。
乳がん治療の記録【52】自分を愛せなかった後悔
手術から2週間後、傷口に貼ってあったテープをはがしました。ピリッとはがした瞬間に傷口が裂けないか不安になりました。裂けはしませんでしたが、傷口は赤いみみず腫れのようになっていて、やはり少しえぐいです。
残された右側の乳房をまじまじと見ました。
「ふくらみは貴重品だったな」
母親に容姿を醜い醜いと言われながら育ったので、自分の体など見たくもないと思ってあまり見なかったけれど、人としての、女性としての美しさはそれなりにあったのだろうと感じました。
「もっと自分を愛せたらよかったなぁ、いろいろと・・・」
あらゆるものを愛しそびれてしまったなと思います。外見のことに限りません。フレッシュで、唯一無二で、美しかった自分の持ちものを、片っぱしから母親に罵倒され嘲笑され、自分でそれらを愛しそびれてしまったことがとても悔しいです。
「生きのびることができた意味をこれから感じられたらいいのだけど・・・」と思いました。
乳がん治療の記録【51】快気祝いとは
退院後は、近所の方々が「宅配に来ました~」とアイスやおせんべいを持って来て下さったり、友人たちからもゼリーやクッキー、はちみつのお見舞いが届いたりしました。部屋の中はお菓子屋さんのようになりました。マスクやタオル、クリスマスオーナメントやDVDを下さる方もいて雑貨屋さんのようにもなりました。
その方々へのお返しの品を“快気祝い”というのだと、40代にして初めて知りました。快気した人に送るのではなく、快気した人が送るものだったのか・・・。快気祝いは退院後10日から1ヶ月の間に送るものだそうです。
品物は何にしようかと、ネットで調べたりお店へ見に行ったりしました。値段が低すぎてもつまらないし、高すぎても気を遣わせてしまいます。
パッケージもおしゃれなとらやカフェの瓶詰めのあんこペースト、めでたい雰囲気の一保堂の大福茶、中川政七商店の富士山型のかわいいふきんなど自分の好きなものをお送りしました。
思ってくれる人たちのことを思いながら品物を選んだり送ったりするのは楽しい時間です。
乳がん治療の記録【50】リハビリ体操
退院後にはリハビリ体操をするように病院で言われました。腕を上げたり、ひじを引いたりしながら、手術の傷口付近のツッパリ感を和らげる体操です。
毎日数回、こまめにするのがいいのですが、こまめにできないのが人間です。
入院中はフルーツサンドやクレープなどなぜか生クリームの使ったスイーツが食べたくなりました。そこで、生クリームを買ってきて、ホイップをして(泡だて器で)、お見舞いにいただいたいちごやりんご、ネーブルなどをたくさんつめて、それらを作って食べました。30分かけて作って、たいらげる時間は5分。でも、おいしかったです。
買物に行って調理するだけでも日々体力は使われていたのだなと感じました。手術したり入院したりすると、やはり体力は落ち、疲れやすくなります。
乳がん治療の記録【49】退院
入院5日目(手術して3日後)の朝、同室のMさんと病室を出て、受付で預り金からのおつりを受け取り、退院をしました。
タクシーで帰宅して、シャワーに入って、洗濯をして・・・などをしてたらへとへとになりました。もう痛み止めの薬を飲まなくても痛くありません。「すごいなぁ、あんなにたくさん切り取ったのに・・・。どうなってるんだろう、人の体って・・・」と思いました。
創作したい!
まだ年末でもないのに、年賀状をデザインしました。「快気祝いにカレンダーを配ろう」と思いついて、カレンダーのデザインもしました。
創作からたった5日間離れていただけで、まるで禁断症状のようです。退院後はのんびりしたくなるだろうと思っていたのに、デザインの作業に没頭することになるなんて自分でも意外でした。
乳がん治療の記録【48】慣れてしまえば
傷口を押さえるために巻いていた胸帯がはずれ、看護師さんに手術の傷口を見せてもらいました。傷口は縫わずに医療用ボンドで貼り付けてあります。だから縫い目はなく、一本筋の傷口です。
左胸がないことに少しぞっとしました。深く考えると哀しくなりそうでした。一方で、私が私であることには変わりないなとも思いました。私ができることも、今までとなんら変わりません。しゃべれるし、食べられるし、音楽も聴けるし、考えられるし、文を書いたり絵を描いたりもできます。
左胸を全摘したからといって化け物になったわけではないですし、化け物と思う友人もいないでしょう。慣れてしまえば慣れてしまえそうな気がしました。
この状況における心持ちは、「負けない!」「がんばろう!」より「まあ、仕方ないよなぁ」「そんなもんだよなぁ」のほうがしっくりきました。
乳がん治療の記録【47】病棟内見学
入院4日目(手術後の翌々日)、ドレーン(手術したところにさされた血液やリンパ液などを排出する管)がとれて、自分を拘束するものがリストバンドだけとなりました。ドレーンがとれたので、明日の退院が決まりました。
二日ぶりにシャワーも浴びました。傷口には撥水加工のされたテープが貼られています。そこにもこわごわとお湯をかけました。
向かいのベッドのKさんが退院されました。病室が寂しくなりましたが、LINEを交換したので、これからも連絡をとり合ったり、またお会いできる日も来るでしょう。
病棟内は自由に歩いてよく、むしろ歩くのは体力の回復のためにもよいとのことで、あちこち探検をしてみました。コーヒー屋さんをのぞいて、コインランドリーものぞいて、マリア様が微笑みながらたたずむ聖堂も見学して、ベランダにいる鳩を撮影して、屋上にものぼって山を見ました。
調子にのりました。少し息苦しくなってきました。傷口が開いたらどうしようと今さらあわて始めました。心配性のくせに好奇心旺盛・・・。何事もほどほどに・・・。
乳がん治療の記録【46】夜驚(やきょう)症
手術した日の夜は一睡もできませんでしたが、その翌日の夜は就寝9時になると脳が「さすがにもう寝てくれ」と言っているようで、貪るように入眠できました。
「お父さん!」
自分の怒声に目が覚めました。やってしまった・・・。夜中の3時です。恐れていたことが起きました。
向かいのベッドのKさんにも「え!?」と驚かせてしまいました。申し訳ない・・・。病棟中に響いたかも・・・。
私は数年前より夜驚(やきょう)症がしばしば起きます。親に虐待されていた子ども時代のことを夢に見ては、「なんでそんなことするの!?」「ひどいよ!」「もうやめて!」などの寝言を大きな声で上げてしまうのです。
虐待されていた人の中には、30、40代になってからそのようになる人がいるようです。私のように自分の寝言で目が覚めてしまう人もいれば、なかなか覚めずにずっと叫んでいる人、なかには眠ったまま暴れてしまう(周囲の人を殴ったり、逃げ出そうとしたりする)人もいるとか。
私の本日の夢は、洗濯を一向にしないことについて母に不満を示したら、母が箸を持って暴れ出し、子どもの私が必死で止めているのに、我関せずの父の態度に怒っての「お父さん!」でした。
家事もせず子育てもせずにやりたい放題の母親と、それを見て見ぬふりをしてきた父親への怒り。長い年月封印してきたそれらの感情が、最近やっとこのようなかたちでもあらわれるようになりました。
経なければいけない過程だと感じていますが、しかし深夜の病棟での夜驚症は他の方々にご迷惑きわまりないです・・・。
乳がん治療の記録【45】術後せん妄?
午後、別室に行き、退院後の生活についての説明を受けました。昨日の今頃は体の一部を切り取る手術をしていたというのに、すでにもう立ったり歩いたりしゃべったりして普通に過ごせるなんて、よく考えたらすごいことだなぁと思いました。痛み止めの飲み薬のおかげで痛みもありません。
夕方ごろから、なんだか頭の中がふわふわしてきました。見えるもの聞こえるものが何かおかしい。夢の中にいるような、嘘の世界にいるような・・・。
例えば、ベッドの上にいると、右手側が長く続く廊下のような気がするのです。でも、見ても廊下はありません。左手側にはエレベーターがあるような気がするのです。窓しかないのに。ベッドの頭側はもちろん壁ですが、広場が広がっているような気がし、そしてベッドが傾いている気がします。
きわめつけは、棚の上の荷物が人の頭のように見えました。「怖い!」と思いました。小耳にはさんだことのある「術後せん妄」というやつではないだろうか・・・。
調べてみると、手術や麻酔の影響で妄想のような状態が起こることがあるようです。人によっては暴れ出すそうです。
「夜中暴れちゃったらどうしよう・・・」
また新たな不安に襲われました。