考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

乳がん治療の記録【56】術後一年後検診とお茶会

病院へ術後一年後検診に行きました。超音波とマンモグラフィでの検査でしたが、問題はなく「ほっ」としました。

そして、また別の日に、病院で同室だったKさんやUさんとも再会し、お茶をしました。みな同じ40代で、なんだか雰囲気も少し似ている気がします。

入院中はほぼ同じスケジュールやメニューをこなしていたけれど、改めてお話しし合ってみると、それぞれ辛かったことや痛かったことなどがまったく異なるのが興味深いです。

Kさんは「カテーテルがすごーくストレスだった」とおっしゃりましたが、Uさんも私もそんなには感じませんでした。

Uさんは「着圧ソックスが気になって仕方がなかった」とおっしゃりましたが、Kさんも私も履かされていたことすらあまりおぼえていませんでした。

私は術後の麻酔の副反応がトラウマになったと言いましたが、お二人はそこまで副反応はなく、かと思えば、お二人が激痛に感じた注射では、私は何の痛みも感じませんでした。

しかし共通しているのは、手術直後の夜がとてもとても長く感じたこと。寝返りも打てず、体のあちこちが凝って痛くなる中、まんじりともせず過ごす15~18時間は本当に苦しかったということです。これは乳がんの手術に限らず、大きめの手術だったら全て術後はそのように絶対安静にならざるをえないので、「今後はなるべく手術しないですむように生きたい・・・」という結論になりました。

三人とも同じような人生の悩みを抱えたりもしていて、だからなるべくストレスはためこまないよう、体を適度に動かしたり思いを吐き出したりして上手に発散していきたいですね、なんてことをお話し合ったりして私はとても励まされました。

なんだか学生のころから知り合いだったような気がする不思議な縁です。

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おいしいコーヒー

乳がん治療の記録【55】おまけの医療用ボンドかぶれ

退院してから1ヶ月後、傷口がむずむずとかゆくなってきました。鏡で見ると少しかぶれています。傷口は医療用ボンドで貼られているのですが、このボンドは毎日お風呂に入っていてもなかなか取れず、傷口のまわりにはぼそぼそと残り続けています。かぶれはこのぼそぼそに沿ってできているようです。

医療用ボンドかぶれ??

数日後には絶望的なかゆみとかぶれになってきたので、近所の皮フ科へ行きました。

先生の見立ても医療用ボンドかぶれではないかとのことでした。残っているボンドからの刺激が積もり積もって、急にかゆみとかぶれが出現、という流れなのだそうです。

強めのステロイドを処方していただき、2週間くらいでやっと治りました。

医療用ボンドでかぶれる人はいないわけではないけれど、とてもめずらしいとのこと。手術の一ヶ月後くらいからなることが多いようです。

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かぶれにはステロイド


一難去ってまた一難の稀少例でした。
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以上で、「乳がん治療の記録」を終えます。読んでいただきました方々、ありがとうございました。

 

今後は、正しいことがひとつもなかった家庭のことや、そういう家庭で育つ子どもの気持ち、その子どもが大人になってからの苦しさなどを、ぽつりぽつりとつづっていきたいと思います。

乳がん治療の記録【54】医療保険の手続きと流れ

私はがん保険と疾病保険に入っていましたので、保険会社からお金をいただくためには病院で診断書を作成していただき、それを保険会社にお送りせねばなりません。

診断書作成代は8800円です。2通だと17600円です。結構高い!

病院で診断書の作成を申し込み、出来上がるまでに1週間かかりました。診断書を保険会社にお送りし、こちらも1週間でお金をいただきました。

時間がかかるものなのではないかとなんとなく思っていたのですが、意外と迅速でした。

いただいたお金は大半は貯金と生活費にし、でも手術・入院をがんばった自分へのごほうびにも使いたいと思っています。

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ごほうびにとりあえずガーゼ生地の夏掛けを買いました

 

乳がん治療の記録【53】病理検査の結果

退院してから2週間後、久しぶりに病院へ。切除した乳房の病理検査の結果を聞きに行きます。

同室のMさんと再会しました。傷口のテープを言われた通りに手術2週間後に私はこわごわとはがした一方で、Mさんは3日後にべりっとはがされたそうです。私が「栄養を摂らねば」と日々あせっている一方で、Mさんは「ラーメンばっかり食べてるよ」と笑っておられました。違いすぎて面白いです。

左乳房の病理の結果は当初の予想通り、非浸潤がん(しこりになる前のがん)でした。しこりになっていないので、薬を飲むなどの他の治療は必要なく、また半年後に検診に来るだけでよいとのことでした。

しかしながら、乳管をにょろにょろと進んでいたがんは、7㎝×8㎝×深さ1.5㎝の広範囲に及んでいたそうです。皮膚にもかなり接近していたようです。

「進みの速いHER2陽性タイプのがんだとこういったことはよくある」と先生がおっしゃいました。早期発見・早期治療がいかに大切かを知りました。

治療が一段落したお祝いにお昼はレストランでステーキでも食べようかしらと思ったのに、やはり高いのでハンバーグにしてしまうところが私らしいのですが、こういうところも治療しないといけないと感じています。

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手術で切除したものの画像も見せてもらいましたが、がんは白かった

 

乳がん治療の記録【52】自分を愛せなかった後悔

手術から2週間後、傷口に貼ってあったテープをはがしました。ピリッとはがした瞬間に傷口が裂けないか不安になりました。裂けはしませんでしたが、傷口は赤いみみず腫れのようになっていて、やはり少しえぐいです。

残された右側の乳房をまじまじと見ました。

「ふくらみは貴重品だったな」

母親に容姿を醜い醜いと言われながら育ったので、自分の体など見たくもないと思ってあまり見なかったけれど、人としての、女性としての美しさはそれなりにあったのだろうと感じました。

「もっと自分を愛せたらよかったなぁ、いろいろと・・・」

あらゆるものを愛しそびれてしまったなと思います。外見のことに限りません。フレッシュで、唯一無二で、美しかった自分の持ちものを、片っぱしから母親に罵倒され嘲笑され、自分でそれらを愛しそびれてしまったことがとても悔しいです。

「生きのびることができた意味をこれから感じられたらいいのだけど・・・」と思いました。

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少しえぐい

 

乳がん治療の記録【51】快気祝いとは

退院後は、近所の方々が「宅配に来ました~」とアイスやおせんべいを持って来て下さったり、友人たちからもゼリーやクッキー、はちみつのお見舞いが届いたりしました。部屋の中はお菓子屋さんのようになりました。マスクやタオル、クリスマスオーナメントやDVDを下さる方もいて雑貨屋さんのようにもなりました。

その方々へのお返しの品を“快気祝い”というのだと、40代にして初めて知りました。快気した人に送るのではなく、快気した人が送るものだったのか・・・。快気祝いは退院後10日から1ヶ月の間に送るものだそうです。

品物は何にしようかと、ネットで調べたりお店へ見に行ったりしました。値段が低すぎてもつまらないし、高すぎても気を遣わせてしまいます。

パッケージもおしゃれなとらやカフェの瓶詰めのあんこペースト、めでたい雰囲気の一保堂の大福茶、中川政七商店の富士山型のかわいいふきんなど自分の好きなものをお送りしました。

思ってくれる人たちのことを思いながら品物を選んだり送ったりするのは楽しい時間です。

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乳がん治療の記録【50】リハビリ体操

退院後にはリハビリ体操をするように病院で言われました。腕を上げたり、ひじを引いたりしながら、手術の傷口付近のツッパリ感を和らげる体操です。

毎日数回、こまめにするのがいいのですが、こまめにできないのが人間です。

入院中はフルーツサンドやクレープなどなぜか生クリームの使ったスイーツが食べたくなりました。そこで、生クリームを買ってきて、ホイップをして(泡だて器で)、お見舞いにいただいたいちごやりんご、ネーブルなどをたくさんつめて、それらを作って食べました。30分かけて作って、たいらげる時間は5分。でも、おいしかったです。

買物に行って調理するだけでも日々体力は使われていたのだなと感じました。手術したり入院したりすると、やはり体力は落ち、疲れやすくなります。

 

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乳がん治療の記録【49】退院

入院5日目(手術して3日後)の朝、同室のMさんと病室を出て、受付で預り金からのおつりを受け取り、退院をしました。

タクシーで帰宅して、シャワーに入って、洗濯をして・・・などをしてたらへとへとになりました。もう痛み止めの薬を飲まなくても痛くありません。「すごいなぁ、あんなにたくさん切り取ったのに・・・。どうなってるんだろう、人の体って・・・」と思いました。

創作したい!

まだ年末でもないのに、年賀状をデザインしました。「快気祝いにカレンダーを配ろう」と思いついて、カレンダーのデザインもしました。

創作からたった5日間離れていただけで、まるで禁断症状のようです。退院後はのんびりしたくなるだろうと思っていたのに、デザインの作業に没頭することになるなんて自分でも意外でした。

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創作!創作!創作!

 

乳がん治療の記録【48】慣れてしまえば

傷口を押さえるために巻いていた胸帯がはずれ、看護師さんに手術の傷口を見せてもらいました。傷口は縫わずに医療用ボンドで貼り付けてあります。だから縫い目はなく、一本筋の傷口です。

左胸がないことに少しぞっとしました。深く考えると哀しくなりそうでした。一方で、私が私であることには変わりないなとも思いました。私ができることも、今までとなんら変わりません。しゃべれるし、食べられるし、音楽も聴けるし、考えられるし、文を書いたり絵を描いたりもできます。

左胸を全摘したからといって化け物になったわけではないですし、化け物と思う友人もいないでしょう。慣れてしまえば慣れてしまえそうな気がしました。

この状況における心持ちは、「負けない!」「がんばろう!」より「まあ、仕方ないよなぁ」「そんなもんだよなぁ」のほうがしっくりきました。

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傷口は一本筋

 

乳がん治療の記録【47】病棟内見学

入院4日目(手術後の翌々日)、ドレーン(手術したところにさされた血液やリンパ液などを排出する管)がとれて、自分を拘束するものがリストバンドだけとなりました。ドレーンがとれたので、明日の退院が決まりました。

二日ぶりにシャワーも浴びました。傷口には撥水加工のされたテープが貼られています。そこにもこわごわとお湯をかけました。

向かいのベッドのKさんが退院されました。病室が寂しくなりましたが、LINEを交換したので、これからも連絡をとり合ったり、またお会いできる日も来るでしょう。

病棟内は自由に歩いてよく、むしろ歩くのは体力の回復のためにもよいとのことで、あちこち探検をしてみました。コーヒー屋さんをのぞいて、コインランドリーものぞいて、マリア様が微笑みながらたたずむ聖堂も見学して、ベランダにいる鳩を撮影して、屋上にものぼって山を見ました。

調子にのりました。少し息苦しくなってきました。傷口が開いたらどうしようと今さらあわて始めました。心配性のくせに好奇心旺盛・・・。何事もほどほどに・・・。

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傷口にはテープが連なって貼られています