考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

「毒親」「親ガチャ」と言うほかない実態がある

毒親」とか「親ガチャ」という言葉に目くじらを立てる人たちがいるが、彼らは新聞を読んだりニュースを見たりしない人たちなのだろうか。親による子供の虐待の報道があれほどなされているのに。それとも、そういうのを読んだり見たりしても、心を動かされることも、何か深い思考をするようなこともできない人たちなんだろうか。

 

私の毒親である両親のこんなエピソードを読んでも、目くじら人たちはまだ「親」と呼ばれる人たちのほうが正しいと思うんだろうか。以下は二千三千、おそらくもっとある、彼らの醜く愚かしいエピソードの中のひとつです。

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東日本大震災の日、東京郊外の私の町でも残念ながら1名の方が亡くなられた。ちょうど訪れていらした都心の会館の天井崩落によるものだった。夜にはその方のお名前が、住まいである私の町の名前とともに報道されたようだ。

 

翌日、朝から私の母親が町内会名簿や町内の地図、電話帳など沢山の紙類をリビングに広げて熱心に何かをしていた。その姿は、ピクニックに行って色とりどりのレジャーシートを並べ、その上で興奮する子供のようだった。私はそれを横目にしつつも、停電がいつ起こるともしれない中でパソコンを使って仕事をせねばならず、彼女に「何をしているのか」と聞く余裕などなかった。

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夜になり、彼女が地図を手に掲げながら、喜びにあふれた声で「わかった!死んだ人、ここに住んでるんだ!この住所の、地図のここ!公園の近く!ここに住んでる人が死んだんだ!」と叫んだ。

 

私は愕然とした。震災の翌日に、片付けや余震への対策をするでもなく、知人や親族の安否確認をするでもなく、彼女が一日中没頭していたことは、ただの興味本位で、亡くなった方の名前から名簿や電話帳を使ってご自宅の住所を割り出し、その位置を地図上で特定することだった。私は言った。「そんなことする必要ある?不謹慎だよ」と。

 

「別にいいでしょ!あたしの勝手でしょ!あたしの自由!」と彼女は怒鳴った。私はすぐそばにいた父親に言った。「お父さんからも何か言ったらどう?」と。すると彼は菓子を頬張り、にやにやしながら、「研究熱心でいいんじゃないの?」と言った。夫に擁護された彼女はさらに怒鳴り声を上げた。「そうだそうだ!あんたはいちいちうるさい!キチガイが!精神病院行け!」と。

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これが私の両親である。勲章だか何だか知らないが自費でやたらと立派に額装したものを仰々しく壁に飾り、床は食べかすと埃にまみれたリビングで、性根の腐っただらしない夫婦がこのような醜く愚かな言動をしながら何十年も暮らしてきた。

 

目くじら人の感性では、彼らをどう捉えるだろう。そういった両親に育てられた子供たちが、彼らよりずっとまともであったがゆえに、幼い頃から幾度となく絶望を味わい、それによって大人になっても尚、心を病まずにはいられないことなど、その浅い思考では想像も理解もできないかもしれない。「毒親」とか「親ガチャ」と嘆くほかない子供たちに対して、まだ「わがまま」だとか「甘えてる」だとか「言い訳するな」だとか「もっと不幸な子供は世界中にいる」だとか言うんだろうか。

 

私は自分の両親を、モラルの無い、心を失った、愚かで不誠実な者たちだと捉える。そしてそれは辛く長い葛藤の末に、やっと捉えることができた真理だ。