考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

子供なんて死んでもいい 食事を用意しない毒親

食事をまともに用意してくれない母親だった。食べることは生きること。子供なんて死んでもいいと思っていたのかもしれない。

 

小学生の時、私は朝、何も食べずに出かけていた。彼女は朝食を出さないくせに、家を出ようとする私の背中に「何も食べないと貧血になってみんなの前で倒れるよ!」「何も食べないとみんなに口が臭いって言われるよ!」などの脅しや嫌味の言葉だけは存分に浴びせかけた。

 

私は給食をできるだけたくさん食べた。何度もおかわりした。「痩せの大食いだね」とクラスメイトに言われたが、そうせざるをえなかった。家に帰ってもおやつなんて出されたことはないし、夕飯だっていつ食べられるかもわからなかったからだ。

 

彼女が毎日、食事もまともに用意せずに家で何をしていたかというと、リビングにあるテレビの真ん前に寝転がって、又は立膝をして座り込んで、げらげらと下品に馬鹿笑いしながら、音をたてて緑茶をすすり、お菓子をぼろぼろと床にこぼしながら食べ、ずっとテレビを観ていた。合間に二度も三度も昼寝をし、放屁して、ゲップをして、大声を上げながらあくびやくしゃみをして、舌打ちをして、鼻をほじり、尻を搔きながら。物心がついてから私が見てきた彼女の姿は、ずっと変わらない。「母親の姿を思い出して」と聞かれたら、テレビの前でそんなふうにだらしなく過ごす彼女の後ろ姿を思い出すだろう。そのくせ、「あーあ!今日も一日テレビばかり観て無駄に過ごした!」などとイライラしていた。

 

私が彼女に「ご飯を作ってほしい」と言うと、「なんであたしが作んなきゃいけないのよ!面倒くさい!あたしは不幸だ!あたしには自由がない!」と怒鳴った。

 

彼女はしばしば、私の体を見ては、馬鹿にし嘲笑した。「あんた、骨と皮だね。まるで餓鬼だね!」「エチオピアの栄養失調の子どもみたい!」「手足が細長すぎて骸骨が歩いてるかと思った!」「まるで病人だね。気持ち悪い!」など。ならばなぜ、親として食事をちゃんとしてあげようと思わなかったんだろうか。娘が痩せているのは自分の責任だと微塵も感じなかったんだろうか。胸を痛めることも、自己嫌悪も、何もなかったんだろうか。

 

 

私は片道1時間半ほどの私立の中高一貫進学校に通っていた。勉強もたくさんして、部活もして、さらに満員電車に詰め込まれて心身がへとへとになった状態で夜の7時近くに帰宅しても、夕飯がちゃんと用意されていることなどほとんどなかった。

 

私は仕方なく自分で作った。しかし作ろうと思うと、台所の流しは大量の汚れた食器で埋まっていた。まずはそれらを片付けなければならなかった。しかし洗おうとすると、流しは一気に汚水で満たされた。排水口のごみ受けにごみが溜まっているからだ。生ごみだけでなく、ビニール袋や鼻をかんだティッシュも捨てられていた。

 

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棚から鍋を取り出そうとすると、その鍋は洗われておらず、汚れとかびがこびりついていた。冷蔵庫を開けると、腐ってどろどろになった人参や、乾いて黄色くなった豚肉、袋から飛び出て庫内に散らばった餃子、悪臭を発する数週間前のおかずなどが出てきた。食事を作る前に、まずそれらを選別することに手間と時間をかけねばならなかった。ケチャップやマヨネーズなどの調味料の瓶は、同じものが何本も開いていて、どれから先に使うべきか、はたまたそれらがいたんでないかも確認しなければならなかった。疲労感は増し、空腹も辛く、みじめな気持ちになった。

 

やっと夕飯を食べられるのは9時や10時だった。

 

私は彼女に提案をした。「学校から帰宅した7時くらいには、夕飯を食べられるようにしてほしい」と。夕飯の食器の片付けをして、お風呂の掃除をして、家族全員分の洗濯物をたたんで、アイロンもかけて、そして宿題もするとなると、私の就寝時間は毎日深夜の2時や3時、4時近くになることもあった。翌朝7時には、私は家を出なければならないのに。

 

彼女は「夕飯の時間なんて決められたくない!」と反発する。さらに「うちの娘は“7時0分0秒きっかりに食事を出せ!”って言うのよ。こだわりが強いの。自閉症気味なの。精神の病気よ。本当に気難しくて大変よ」と周囲に吹聴した。いわゆるエリートの夫の、自分は内助の功だと堂々とうそぶく彼女の言葉を、人々は果たして信じてしまうのだろうか。

 

 

小学生の時も、中高生の時も、私は友人たちに「母親が食事を用意してくれない」と相談をした。友人たちは皆、ごく普通の、どちらかといえば裕福で意識の高い家庭の子供たちだったので、私の話に一様にきょとんとしていた。そして「どうしてお父さんは何も言わないの?」と、とても常識的な疑問を投げかけた。

 

父親は自分の書斎にこもって文献を読みながら菓子でもつまんで空腹をしのければ、それで済む人間だった。成長期で、食べ盛りで、栄養をたくさん摂らなければならない子供のことを、わざわざ思いやるような心ある人間ではなかった。

 

このようなぞんざいな扱いを受け続けた子供が、自分の存在を、命を、肯定して生きていくことなどできるだろうか。成人したからといって、どこからともなく急に自分に自信が湧いて出てくることなんて無いはずだ。

 

 

私が大人になってから、教師をしている方に「今時は、お母さんが働いているために夕飯を作れず、食卓に1000円だけが置かれているというような子どもも多いんですよ」と言われたことがあった。その方は「可哀そうですね」というリアクションを期待なさっていたかもしれないが、私は「羨ましいな」と思っていた。

 

少なくとも、そのお母さん方は、子どもたちが食事をとることについての考えが及んでいる。子どもに夕飯を食べてほしい、夕飯が食べれなかったらかわいそう、と思っている。つまり子どもに、死んでほしくない、生きてほしい、と思ってくれているからだ。