考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

教育虐待 中学受験で私は死んだ2

毎晩深夜2時まで怒鳴られたり叩かれたりしながら勉強させられる日々は、まだ10歳や11歳だった私の心身を次々と蝕んだ。

 

小学校の登校時間は8時25分なのに、私は8時15分になっても起きることができなかった。肩と背中が凝り固まって重く、立つと目の前がちかちかとして立ち眩みが起きた。今思えば、これは自律神経の乱れによる「起立性調節障害」と呼ばれるものだろう。だから私は遅刻をよくしていた。朝礼で校庭に全校生徒が集まる中、校長先生が朝礼台で話をしている後ろをぼーっとした表情で横切って下駄箱に向かう私のことをクラスメイトがおぼえていて、十数年後に話して聞かせれくれた。そう言えばそうだったかもしれないと、私は哀しくなった。

 

私の自慢は両目の視力がとても良いことだった。「よくあんな遠くのもの見えるね」「目が大きいから視力がいいのかな」と友達に言われて私は得意だった。しかし眠くなっても目が疲れてもやめさせてもらえない毎晩の拷問によって、小学5年生のたった一年で、私の視力は0.1以下となった。だんだん物が見えなくなってくる恐怖と哀しみを私は覚えているが、どこかで諦観もしていた。もうどうなってもいい、という気持ちがあった。しかし自慢のよく見えた大きな目に、分厚くて重いレンズの眼鏡をかけねばならなくなった時、私は泣いた。洗面所で泣いて泣いて泣いた。どうにか視力がまた元に戻らないかと、泣きながらアホみたいに野菜の汁をしぼって目の中に入れたりしていた。私は元来、走り回ったりするのが好きな活発な子だった。しかし眼鏡をかけてから、その活発さは失われたと思う。暗くて、おとなしくて、真面目に見えるその眼鏡姿の自分は受け入れがたいものだった。母親は「視力なんて別にどうなったっていいんだよぉ!眼鏡かけりゃあいいんだよぉ!」と言っていた。子供が持って生まれたそのかけがえのない宝物を奪ってしまったことについて何の反省も後悔もなかった。「そんなに視力が気になるなら星でも見て来い!」と冬の夜のベランダに出された。私は寒さに震えながら星を見た。それは束の間の癒しの時間だったかもしれない。でも以前はくっきりときれいに見えた星が、ぼんやりとしたただの淡い光になってしまったことが悲しかった。ベランダの手すりに腰をかけて、「このままベランダから落ちたら楽になれるのかな」と私は思っていた。

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学校にいると「みんなの前で吐いてしまうのではないか」という強迫観念にもかられていた。「どうしようどうしよう」と授業中もずっと不安に苛まれていた。先生に「吐きそうです」と訴えたら、「保健室に行けばいいでしょう」と面倒くさそうに言われた。私は「吐いてしまうから学校に行けない」と家の玄関口で泣いた。母親は「あんた学校でいじめられてんの!?いじめられてるなんて恥かかせないでよ!」と言った。学校でいじめられなんかいない。いじめているのはあなたでしょう?なぜ娘のこの異常事態を認識できないのか。そしてその原因が自分にあると微塵も思えないのか。これについても「嘔吐恐怖症」というストレス性の精神疾患であったことを、大人になってから知った。

 

左の脇腹に水疱ができた。右手の指で触ると、ぶつぶつがたくさんあって気持ち悪かった。そしてそれらはみるみる広がり、黄色の汁を出してぐちゅぐちゅになった。痛みと痒みでどうしようもなくなった。病院で「帯状疱疹」と診断された。ストレスによって免疫力が低下して発症するもので、子供がなることは珍しいそうだ。私は上半身に包帯をぐるぐる巻きながら学校や塾に行っていた。痛みや痒みはとても不快だったと記憶しているが、それもあまり周囲には見せていなかったかもしれない。この不快感すらも自分の中に押し込んで我慢していた。私は一人で何もかも我慢していた。あらゆる感情を内側に抑圧していた。

 

私が大人になってから母親にあの頃のことを言うと、彼女は「本当にあの中学受験に自分は狂わされた!」と怒っていた。なぜ被害者ぶるのか。自ら狂いに行ったんだろう?感情も行動も制御できない低能のあなたは加害者。被害者は娘だ。なぜ小さな子供ですら感情も行動も制御できているのに、50代にもなるいい大人であったあなたは微塵も制御できなかったのか。

 

父親に言うと、「お母さんが躍起になっているから困ったなとは思っていた」と言っていた。思っただけで、問題解決のために何ひとつ行動を起こさなかった怠け者。私が深夜2時まで怒鳴られ叩かれている部屋のその真上の書斎で、彼はいびきをかいて寝ていた。なぜ自分の子供の苦しみにたったの1ミリも寄り添えないのか。私はあの拷問部屋のドアを誰かが開けてくれることを、そして私を救い出してくれることを望んでいた。私はドアをよく見つめていたが、誰かがあのドアを開けてくれることはなかった。父親は自分の妻に「今、あの子勉強さぼっているよ」などとわざわざ告げ口をし、妻のイライラの矛先が自分自身に向かないような手を使う卑怯者でもある。「徳」だの「仁」だのと偉そうに人前で講義する立場の人間がこうなのだから茶番もいいところだ。

 

最近「教育虐待」という言葉が出てきた。あの日々はそれ以外の何物でもない。

 

秋葉原無差別殺傷事件の犯人も、農水省の父親に殺された引きこもりの人も、異常な教育虐待を受けていた。殺人事件を起こすのも、引きこもりになるのも、精神疾患になるのも、根っこにあるのは共通している。親からの虐待による悲しみや怒りが脳に心に大量に積もっている。私は悲しみや怒りの刃を自分に向けたので、大人になってから鬱病になって倒れた。刃の向かう先が違っていたら、私が彼らだったかもしれないと思う時がある。