贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない
雑貨屋に入るともう母の日のコーナーが設えられていて、カーネーションが描かれた綺麗なハンカチが飾られていた。薔薇や紫陽花が描かれているものもあった。パステルカラーのピンクや紫の美しい扇子も置いてあった。
こんなに綺麗で美しい品々を、買って贈りたいという気持ちになった。でも私には買って贈りたいと思えるような母親がいないと思うと、哀しくなって涙が出た。
贈りたいと思える母親がいたなら、どれだけ幸せなことだろう。「あら、いいわね」と喜んでくれて、その顔を見てこちらも嬉しくなれたなら、どれだけ幸せなことなんだろう。
私だって、本当は、母の日に贈り物をする娘になりたかった。
いわゆる“いい子”だった私は、子供の頃から、鬱病で倒れる30代半ばまで、事あるごとにせっせと母親に贈り物をしてきた。
しかし彼女の口から放たれるのは「あんたは何もしてくれない!」「あたしは子供に恵まれなかった!」「あんたは親不孝だ!」「あたしは不幸だ!」という言葉だった。
雑貨店のそのコーナーに飾られていたハンカチがあまりに綺麗だったので、私は思わず手に取った。そこには「ありがとう」というメッセージカードが添えられていた。
贈りたいと思える母親はいないが、母親のように思える人たちに贈るのはどうだろう。何かと気にかけてくれる年上の女性、誠実であることを見せてくれる同業の先輩、学生の頃から常識を教えてくれる友人たちに・・・。でも「あまりにも重いかな・・・」と私はハンカチを元のかごに戻した。そしてまた、哀しくなった。
母の日に母親に贈り物をしたいと思える人は幸せだ。それはその人が決していい娘や息子だからではない。贈り物をしたいと思わせてくれる母親が、いいのだ。そして母親に贈り物をしたいと思えない人は、決してその人が悪いわけではない。