考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親

娘を罵倒し、嘲笑するのが、母にとって日々の喜びだったのだろうと思う。子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。

容姿について、母から以下のような罵倒・嘲笑をされてきた。

「あんた、目が大きすぎて、おばけみたいで気持ち悪い」
「手足が長すぎて、骸骨みたいで気持ち悪い」
「体が細すぎて、まるで餓鬼だね」
「顔が細すぎて、首も細すぎて、病人と同じ」
「出っ歯で、河童みたい」
「鼻が低くて、笑われる」
「くまがあって、おかしい」
「髪を結ぶと、ひっつめした女中みたい」
「陰気くさい顔で、どんどんブスになる」

そして娘の鼻に洗濯ばさみを挟んで嘲笑ったり、鼻の下を指で押して「(出っ歯が)引っ込め、引っ込め」と馬鹿にしながら歌ったりしていた。スイミングスクールで水着を着ていた私を見て、「体が細くて、顔色が悪くて、ガタガタ震えていて、幽霊みたいでおかしかった」とにやつきながら嫌味たらしく言った(私には水泳が体質に合っていなかったと思う)。

小学生の時は、自分の容姿について思うと、とてもみじめな気持ちになった。「どうして他の友人たちのように普通に生まれなかったんだろう」と絶望していた。「生まれ変わったら、せめてまともな姿でありたい」と願っていた。恥ずかしくて、悲しくて、消えてしまいたい思いによく駆られた。

ところが、高学年や中高生になると、友人たちが容姿を褒めてくれるようになった。欠点だと思っていた大きな目や細い体を「いいな」と言われたり、低いと母から嘲笑されていた鼻を「高くてうらやましい」と言われたりした。私はとても混乱した。

ただ、褒めてもらえてうれしい気持ちもあった。しかし幼いころからの母親による「あんたは醜い」という刷り込みのほうが強力だった。私は「自分の容姿は醜い」という思いに常に苛まれ、中高生の頃は、人前に出ると赤面症や多汗症の症状が出た。道を歩くのもストレスだった。人々が往来する道をこんな醜い人間が通ることが申し訳なく、いたたまれなかった。電車の中でも「醜い私をまわりの人たちは嫌がっているのではないか」と思っていた。

さらに大学生になると摂食障害にもなった。ただでさえ醜い容姿なのに、顔にニキビまでできたらさらに醜くなってしまうという思いから油や砂糖を抜く食生活にしたら、体重が30㎏台になり生理も止まった。拒食症の後は過食症にもなり、のどの奥に指を突っ込んで吐くことを繰り返していた。摂食障害は母娘関係に難があり、且つ問題にしっかり取り組もうとする真面目なタイプの娘がなると、後にカウンセラーさんから聞いた。

二十歳のころ、「自分は本当に醜いのだろうか」と思い、若い女性たちを容姿で審査するオーディションを受けたら合格した。人前に出るその仕事を通して、容姿を他者から褒められる機会は多くなり、少し自信が持てるようにもなった。

今、40代になり、自分の容姿が他の人たちと比べて特別に醜いわけではないと思えるようにはなった。しかし鏡を見た時に、母の罵倒や嘲笑の声がふいによみがえる時もあり、自分がまた醜く見え、消えてしまいたい衝動に駆られる時がまだある。

母親がなぜ幼い娘の容姿を罵倒、嘲笑し、自信を失わせるようなことばかりをするのかを、まともな人なら理解できないだろう。私から見れば、やはり彼女はそれらをすることが日々の喜びだったんだろうと感じる。趣味の悪い、つまらない人生だ。また、痩せている娘を貶めることで、ぶくぶくと豚のように太って顔も体も丸く醜い自分を擁護し、正当化していたのかもしれない。怠惰で姑息な、本当にどうしようもない生き物である。