考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった

私の家はごみ屋敷だった。有名大学に勤めるエリートの父親で、家は閑静な住宅街にあり、娘は私立の中高に通っていると言えば、一見いい家のように見える。

しかし、実際のところは家の中では、母親は家事や育児を放棄し朝から晩までテレビの前に寝っ転がって菓子を食いながらテレビを観たり寝たりしており、父親は書斎に引きこもって家族のことなど気にもかけず、兄弟も自室に引きこもって布団をかぶって寝ており、掃除機を何週間もかけられていない家の中はほこりにまみれ、風呂場は黒かびだらけで浴槽には垢がこびりつき、洗面所は汚れた洗濯物の山になり、リビングにもたたまれていない洗濯物が積まれており、台所はコンロもグリルも換気扇も油でどろどろに汚れ、流しには汚れた食器が溜め込まれて汚水が貯まり、冷蔵庫の中はかびの生えた食品や何本も開封されている同じ調味料、トレイからこぼれだした肉片や腐って液体と化した野菜などであふれ返っていた。

誰も家庭をまわそうとする意識がなく、誰かがこれらを処理せねばならないので、結局私がせざるをえなかった。遠い私立校に通い、満員電車に詰め込まれて疲れた体で帰ってくると、母はあいかわらずテレビの前で寝っ転がってテレビを観ていた。食事を作ってほしいと言うと、「あー、めんどくさいなー!なんであたしが作んなきゃいけないのよ!」と怒鳴ってイライラし出した。私は流しに溜め込まれた食器を洗い、冷蔵庫の中の腐ったものを処分し、腐っていないものを探して調理をし、食事をし、また食器を洗い、風呂場の浴槽を掃除し、洗濯物をたたみ、やっと寝れるのは毎日夜中の3時や4時だった。朝起きて制服のブラウスを着ようとすると、洗濯されずに洗濯物の山の中にあったので、そこから引っ張り出して手洗いをして脱水だけかけて濡れたまま登校したこともよくあることだった。

私は毎日疲れていた。学校の授業中に眠ってばかりいたので、先生によく注意されたが、生きていくにはそうするほかなかった。先生たちは眠ってばかりいるこの生徒の身にそんなことが起こっているなんてこれっぽっちも知らなかっただろう。

子供をサポートしない、サポートするつもりが微塵もない親に育てられた子供の自己肯定感が低いのも無理はない。サポートしないというのは、子供を生かせるつもりがないということだ。私は当時よく「生きる意味がわからない」と友人たちに言っていた。生きる意味を見失い、大人になるにつれて心を病んでいき、ついには鬱病になって倒れたのは当然のなりゆきだろう。

ヤングケアラーという言葉を最近よく耳にするが、私がしていたことは同じように思う。親としての自覚や責任のない頭のいかれた親の世話をしてきたのだ。私はなぜあの頃、家族のぶんの食事まで作り、家族のぶんの洗濯物までたたんでいたのだろう。私がやらなきゃ、と思っていたのはなぜだろう。今思い返すととても悔しい。