考えるつゆくさ

乳がん治療の記録、子どもの教育や心理などについての考えをつづります

乳がん治療の記録【23】おっぱい、ごめん

乳房の全摘手術をすることと、再建手術はしないことを決めてから、お風呂の鏡で改めて自分の体を見てみました。

「なかなかいいおっぱいだったんじゃないか?」と馬鹿みたいですが思いました。

私は長らく自分をゲテモノだと思って過ごしてきました。子どものころから母に「おかしな顔だ!目ばかりがぎょろぎょろしてお化けみたい!」「体が痩せてて餓鬼みたい!手足が細長くて骸骨みたいで気持ち悪い!」などと容姿を罵倒されたり嘲笑されたりしてきたからです。

思春期のころには道を歩いたり電車に乗ったりすることがストレスになってしまいました。「ゲテモノがここにおりまして、本当にすみません」とまわりの人に対して思っていました。

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道がストレス

今、子どものころの写真を見ると「普通にかわいらしいのにな」と思います。友人には容姿を罵倒したり嘲笑したりする人はいませんでした。みんな優しかったので、むしろ「目が大きくていいな」とか「痩せててうらやましい」とか言ってくれました。容姿の美醜は主観的なものですが、母にもそういうとらえ方ができたってよかったはずです。

自分はゲテモノではないし、そもそもゲテモノ呼ばわりされていい人などこの世にいないと思えるようになったのはごく最近です。

若いころに「自分はゲテモノだから」と思って、着たい服をあきらめていたことを今とても惜しく思います。

「私のおっぱい、ごめんよ・・・。胸の開いた服とかビキニとか着せてあげられればよかったね」と謝りました。

「下着もいつも無印とかユニクロのブラトップばかりでごめんね・・・。もっとカラフルなのとかセクシーなのとか着てみたかったかい・・・?」

 

それにしてもなぜ母は子どもの容姿にすら罵倒や嘲笑を何百回となくしたのか。子供の自信を失わせる目的は何だったのか。

「お母さんの罵倒を真に受けるほうが悪い。お母さんの嘲笑に自信を失うほうが悪い」と考える父も同罪です。