貰えなかった母親の愛を今も求めている
母親から愛を貰えなかったことが40代になっても未だに哀しい。多くの人が母親から貰った愛を心の土台にして、強く明るく生きている。一方、愛を貰えなかった人の心には、その土台がない。だからいつも心は不安定で弱い。
母親からの愛は、その人が生きていく上での自信になり、自己肯定になり、力になり、安心感となる。母親からの愛がないと、自信がなく、自己をいつも否定し、無気力で、不安に苛まれてばかりいる人生になる。私の中の本当の私は、毎日、いつでも、うずくまって泣いているし、怖がって震えているし、何もかもが嫌で耳を塞いでいる。
でも、表面の私はそうは見せないために必死になっている。自信、自己肯定、力や安心感が、人並みにあるように見せるために、毎日、いつでも、忙しない。火を絶やさないよう風を送り続けるふいごのよう。普通の人のように見える人生が送りたい。泣いたり震えたり耳を塞いでいる姿なんて誰にも見せたくない。
でも、正直に言えば、もう風を送り続けることに疲れてしまった。普通の人のふりをして生きることに疲れた。疲れて、死んでしまいたいとよく思う。
何でもない様子だったのに急に自殺してしまう人の中には、きっとふいごで風を送り続けることに疲れてしまった人たちもいるのではないかなと思う。
母親から愛を貰えていれば・・・私は貰えなかったそれをまだ求めている。今さら貰えるはずもないのに、愛をくれる人ではなかったのに。
「愛が欲しいよ、お母さんの愛が欲しいよ」。私の中にいる小さな子供の私が哀しく泣いている。