母親から愛を貰えなかったことが40代になっても未だに哀しい。多くの人が母親から貰った愛を心の土台にして、強く明るく生きている。一方、愛を貰えなかった人の心には、その土台がない。だからいつも心は不安定で弱い。 母親からの愛は、その人が生きていく…
私の家はごみ屋敷だった。有名大学に勤めるエリートの父親で、家は閑静な住宅街にあり、娘は私立の中高に通っていると言えば、一見いい家のように見える。 しかし、実際のところは家の中では、母親は家事や育児を放棄し朝から晩までテレビの前に寝っ転がって…
娘を罵倒し、嘲笑するのが、母にとって日々の喜びだったのだろうと思う。子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。 容姿について、母から以…
雑貨屋に入るともう母の日のコーナーが設えられていて、カーネーションが描かれた綺麗なハンカチが飾られていた。薔薇や紫陽花が描かれているものもあった。パステルカラーのピンクや紫の美しい扇子も置いてあった。 こんなに綺麗で美しい品々を、買って贈り…
毎晩深夜2時まで怒鳴られたり叩かれたりしながら勉強させられる日々は、まだ10歳や11歳だった私の心身を次々と蝕んだ。 小学校の登校時間は8時25分なのに、私は8時15分になっても起きることができなかった。肩と背中が凝り固まって重く、立つと目の前がちか…
小4から始まった私の中学受験で、母親はますます狂人と化した。あれはギャンブル中毒と同じだった。彼女は元来、勝ち負けに異様にこだわる。株にのめり込んで、朝から晩まで家事も子育ても何もかも放棄し、新聞とニュースにばかり食い入り、貯金をどんどんつ…
食事をまともに用意してくれない母親だった。食べることは生きること。子供なんて死んでもいいと思っていたのかもしれない。 小学生の時、私は朝、何も食べずに出かけていた。彼女は朝食を出さないくせに、家を出ようとする私の背中に「何も食べないと貧血に…
「毒親」とか「親ガチャ」という言葉に目くじらを立てる人たちがいるが、彼らは新聞を読んだりニュースを見たりしない人たちなのだろうか。親による子供の虐待の報道があれほどなされているのに。それとも、そういうのを読んだり見たりしても、心を動かされ…
病院へ術後一年後検診に行きました。超音波とマンモグラフィでの検査でしたが、問題はなく「ほっ」としました。 そして、また別の日に、病院で同室だったKさんやUさんとも再会し、お茶をしました。みな同じ40代で、なんだか雰囲気も少し似ている気がします。…
退院してから1ヶ月後、傷口がむずむずとかゆくなってきました。鏡で見ると少しかぶれています。傷口は医療用ボンドで貼られているのですが、このボンドは毎日お風呂に入っていてもなかなか取れず、傷口のまわりにはぼそぼそと残り続けています。かぶれはこの…
私はがん保険と疾病保険に入っていましたので、保険会社からお金をいただくためには病院で診断書を作成していただき、それを保険会社にお送りせねばなりません。 診断書作成代は8800円です。2通だと17600円です。結構高い! 病院で診断書の作成を申し込み、…
退院してから2週間後、久しぶりに病院へ。切除した乳房の病理検査の結果を聞きに行きます。 同室のMさんと再会しました。傷口のテープを言われた通りに手術2週間後に私はこわごわとはがした一方で、Mさんは3日後にべりっとはがされたそうです。私が「栄養を…
手術から2週間後、傷口に貼ってあったテープをはがしました。ピリッとはがした瞬間に傷口が裂けないか不安になりました。裂けはしませんでしたが、傷口は赤いみみず腫れのようになっていて、やはり少しえぐいです。 残された右側の乳房をまじまじと見ました…
退院後は、近所の方々が「宅配に来ました~」とアイスやおせんべいを持って来て下さったり、友人たちからもゼリーやクッキー、はちみつのお見舞いが届いたりしました。部屋の中はお菓子屋さんのようになりました。マスクやタオル、クリスマスオーナメントやD…
退院後にはリハビリ体操をするように病院で言われました。腕を上げたり、ひじを引いたりしながら、手術の傷口付近のツッパリ感を和らげる体操です。 毎日数回、こまめにするのがいいのですが、こまめにできないのが人間です。 入院中はフルーツサンドやクレ…
入院5日目(手術して3日後)の朝、同室のMさんと病室を出て、受付で預り金からのおつりを受け取り、退院をしました。 タクシーで帰宅して、シャワーに入って、洗濯をして・・・などをしてたらへとへとになりました。もう痛み止めの薬を飲まなくても痛くあり…
傷口を押さえるために巻いていた胸帯がはずれ、看護師さんに手術の傷口を見せてもらいました。傷口は縫わずに医療用ボンドで貼り付けてあります。だから縫い目はなく、一本筋の傷口です。 左胸がないことに少しぞっとしました。深く考えると哀しくなりそうで…
入院4日目(手術後の翌々日)、ドレーン(手術したところにさされた血液やリンパ液などを排出する管)がとれて、自分を拘束するものがリストバンドだけとなりました。ドレーンがとれたので、明日の退院が決まりました。 二日ぶりにシャワーも浴びました。傷…
手術した日の夜は一睡もできませんでしたが、その翌日の夜は就寝9時になると脳が「さすがにもう寝てくれ」と言っているようで、貪るように入眠できました。 「お父さん!」 自分の怒声に目が覚めました。やってしまった・・・。夜中の3時です。恐れていたこ…
午後、別室に行き、退院後の生活についての説明を受けました。昨日の今頃は体の一部を切り取る手術をしていたというのに、すでにもう立ったり歩いたりしゃべったりして普通に過ごせるなんて、よく考えたらすごいことだなぁと思いました。痛み止めの飲み薬の…
手術は室温の低い部屋で行われているそうです。患者は裸なので、どうしても体は冷えてしまいます。特に足や手などの末梢は冷たくなりやすいです。本来なら体が冷えると自身の体温調節機能が働きますが、全身麻酔によりその機能は停止中。 なので手術が終わる…
早朝、まだ暗かったのですが、懐中電灯を持った看護師さんが来て下さり、カテーテルがはずれました。私をベッドに拘束するものがやっととれました。 看護師さんに支えられながら、ゆっくりと起き上がりました。18時間ぶりに立ちます。余裕で立てました。朝は…
手術が終わったのは夕方で、これから絶対安静の夜が始まります。寝返りすらできません。精神的にもつらいけれど、腰も痛くなるし背中も凝るしで身体的にもとてもつらいです。寝たきりの生活というのはこうことなのだなと身をもって知りました。 隣のベッドの…
手術後のシバリング(全身の震え)もおさまってきたものの、心はパニックのままでした。 そうだ、私はもともとメンタルが弱かった・・・。いくつもの管でつながれてベッドに拘束されていることにも不安を感じ始めました。 火事や地震やテロが起きたらどうし…
乳がんの全摘手術の麻酔から覚めて最初に感じたことは「気持ち悪い」でした。そして見えたものは、乗せられたストレッチャーから見上げた先生方のお顔でした。 「気持ち悪い・・・」としぼりだすように言いました。ストレッチャーで右に左に走らされるとさら…
同室のMさんが私よりも先に手術です。Mさんは昨日も今朝もとてものんびり構えていらしたのに、手術に呼ばれる5分前になって急に「どうしよう!緊張してきちゃった!」とあわて出したのがちょっと可笑しかったです。「がんばって!」とお見送りしました。 知…
今日は手術です。さようなら、左胸。寂しいです。44年間いっしょに生きてきたので。でもここにがんがあるのはもっと嫌です。 500mlのペットボトルの経口補水液を2本渡されました。今日の食事はこれのみです。 同室の4人と病室の中心に集まっておしゃべりしま…
Kさんが手術を終えて戻って来ました。数時間前まで明るくしゃべっていたのに、意識朦朧としてベッドに横たわってぐったりしていました。 のどが渇いていないかな、気持ち悪くないかな、痛くないかな、と心配になりました。全摘をした胸を見たらどう思うかな…
同室のKさんが手術へ行かれます。看護師さんといっしょに徒歩で向かいます。医療系ドラマでよく見るようなストレッチャーで運ばれるかんじではないようです。「がんばって!」とKさんのお見送りをしました。 核医学検査室にまた行き、大きな機械の下に横たわ…
同じ明日手術のMさんとセンチネルパネル生検(リンパ節に転移があるかどうかを調べる検査)のための注射を受けに、核医学検査室なるかっこいい名前の検査室へ行きました。 この注射の薬は微量の放射線を発する物質で、それらが目的地であるリンパ節に3時間後…