乳がん治療の記録【24】全身麻酔について
入院まであと2週間です。麻酔科の先生、薬剤師さん、看護師さんから入院や手術の詳細を聞くために病院へ行きました。
麻酔科の先生にたずねました。
「全身麻酔は初めてなので、とても怖く感じています。素朴な疑問ですが、手術の途中で目が覚めたりは・・・」
「患者さんにとっては初めてでも、この病院では一日5、6件の手術が問題なく行われていますよ」
そりゃそうだ。
全身麻酔をすると呼吸が止まり、人工呼吸器をつけるのだそうです。
「呼吸が止まるんだ・・・。今まで止まったことないのに・・・。死ぬみたいで怖い・・・」と身震いしました。のどには人工呼吸器とつなぐためのチューブが入れられるそうです。想像しただけでおえっとなります。
麻酔科の先生は手術中ずっと「ちゃんと眠っているか」「呼吸はしているか」「痛みは感じていないか」をモニタリングしてくださっているのだそうです。少し安心しました。
そういえば中高時代の後輩に麻酔科の先生になった人がいます。こういうお仕事をしているんだな、と初めてわかりました。彼女に以前「モンスターみたいなうるさい患者さんとかいたりして大変じゃない?」と聞いたら、「眠らせちゃうんで平気です」と笑みをうかべていてかっこよかったです。
薬剤師さんからは薬のアレルギーがあるかどうかを聞かれます。手術後に痛み止めなどの薬を服用するためです。また、看護師さんからは手術当日のスケジュールなどを教わります。手術中は全裸なのだそうです。「え!恥ずかしい!」と思うのは私だけで、先生たちも看護師さんたちも何とも思わないでしょう・・・。
「あの・・・当日もし生理になったらどうなりますか・・・?」
「大丈夫ですよ。手術中は手術台にシートを敷きますし、手術後は紙パンツです」
「紙パンツ・・・」
今年は初体験が多そうです。
乳がん治療の記録【23】おっぱい、ごめん
乳房の全摘手術をすることと、再建手術はしないことを決めてから、お風呂の鏡で改めて自分の体を見てみました。
「なかなかいいおっぱいだったんじゃないか?」と馬鹿みたいですが思いました。
私は長らく自分をゲテモノだと思って過ごしてきました。子どものころから母に「おかしな顔だ!目ばかりがぎょろぎょろしてお化けみたい!」「体が痩せてて餓鬼みたい!手足が細長くて骸骨みたいで気持ち悪い!」などと容姿を罵倒されたり嘲笑されたりしてきたからです。
思春期のころには道を歩いたり電車に乗ったりすることがストレスになってしまいました。「ゲテモノがここにおりまして、本当にすみません」とまわりの人に対して思っていました。
今、子どものころの写真を見ると「普通にかわいらしいのにな」と思います。友人には容姿を罵倒したり嘲笑したりする人はいませんでした。みんな優しかったので、むしろ「目が大きくていいな」とか「痩せててうらやましい」とか言ってくれました。容姿の美醜は主観的なものですが、母にもそういうとらえ方ができたってよかったはずです。
自分はゲテモノではないし、そもそもゲテモノ呼ばわりされていい人などこの世にいないと思えるようになったのはごく最近です。
若いころに「自分はゲテモノだから」と思って、着たい服をあきらめていたことを今とても惜しく思います。
「私のおっぱい、ごめんよ・・・。胸の開いた服とかビキニとか着せてあげられればよかったね」と謝りました。
「下着もいつも無印とかユニクロのブラトップばかりでごめんね・・・。もっとカラフルなのとかセクシーなのとか着てみたかったかい・・・?」
それにしてもなぜ母は子どもの容姿にすら罵倒や嘲笑を何百回となくしたのか。子供の自信を失わせる目的は何だったのか。
「お母さんの罵倒を真に受けるほうが悪い。お母さんの嘲笑に自信を失うほうが悪い」と考える父も同罪です。
乳がん治療の記録【22】乳房再建をしないと決める
形成外科からの帰宅後、乳房の同時再建をするかどうかについて、全摘をされた乳がんの先輩Yさんにも相談しました。
「自分はしなかったけど、7~8年ごとに中身を入れ替えるって意外とめんどうなものなのね・・・」
とYさんは驚いていました。そして
「うん、しなくていいよ!グラビアアイドルじゃないんだから!お胸がなくてもあなたには変わりないから大丈夫!」
とおっしゃいました。
「・・・たしかにグラビアアイドルではないですね!」と私は思わず笑いました。
ぺたんこお胸を愛せるかしら。愛したいわ。
同時再建はしないことにしました。
乳がん治療の記録【21】形成外科で同時再建について聞く
形成外科(美容外科)を訪れました。乳房の全摘と同時に再建をする場合、手術は全摘担当の先生と再建担当の先生で行われるそうです。この日は後者の形成外科の先生とお話をします。
先生はお医者さんというより芸術家みたいな雰囲気でした。患者の不安や悲しみに寄り添うというよりかは、美を追究し、こだわりを持ち、意欲的に新たな作品を作るようなタイプに感じられました。少し冷たくも見えましたが、しかしそれだけにいい作品を、つまり違和感のない元通りの乳房を作ってくださりそうだなとも思いました。
再建の方法は、まず全摘後に皮膚の下に風船のようなものを入れます。退院後、一ヶ月ごとに通院し、その風船に注射器で少しずつ水を入れていきます。風船をふくらませて、皮膚を伸ばしていくのです。
そして半年後、皮膚が十分に伸びたら風船を取り出し、かわりにぷよぷよしたインプラントの詰め物を入れる手術をします(自分のお腹や背中の脂肪を切り取って詰めることもできます)。
入院は全摘のみですと1週間ですが、再建もするとなると2週間になります。また、インプラントは7~8年ごとに入れ替えをせねばならず、手術のために1週間~10日ほど入院する必要があるそうです。
「は~、めんどくさいな~」と私の十八番が出ました。今後の人生でそうちょくちょく入院・手術を繰り返さないといけないのはめんどうです。また、もしインプラントが破れたりしたら緊急に手術することにもなります。仕事が忙しい時期にそんなことになったら、周囲にとても迷惑がかかりそうです。
同時再建をするかどうかは一ヶ月ほど考えてみていいことになりました。
ちなみに豊胸をしている方も同じように定期的な詰め物の入れ替えの手術が必要です。「こんなにめんどうなことをやっておられるなんて、豊胸をしている方はとてもがんばり屋さんだったんだな」とリスペクトする気持ちが生まれました。
乳がん治療の記録【20】遺伝子検査とは/予防切除手術とは
「“遺伝子検査”をするかどうか考えておいてください」
先生がおっしゃいました。
乳がん患者さんの5~10%は遺伝性の乳がんによるものなのだそうです。自分がそうであるかどうかは、血液を採って遺伝子検査をしてもらえばわかります。検査に20万円もかかっていた費用は2018年から保険がきくようになり、7万円でできるようになりました(それでも気軽に出せる値段ではないですが・・・)。
結果がプラスですと、両方の乳房が乳がんになりやすかったり、卵巣がんにもなりやすかったりするそうです。
プラスだったハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーは、がんが発症する前に乳房と卵巣を切除する手術(予防的切除)をして話題になりました。日本では2020年から予防切除手術にも保険がきくようになりました(ただし、乳がんか卵巣がんにかかったことがある人のみ)。
私も、母と叔母と祖母が乳がんになっているので、遺伝の可能性がありそうです。そして卵巣がんは検診では見つかりにくいのだそうです。
遺伝子検査をするかどうか・・・。
しかし、値段も高いですし、もしプラスだったとしても、まだがんがないものを切除することに抵抗がないわけではなく、不安はありつつも、ひとまず今回は保留することにしました。
乳がん治療の記録【19】マンモグラフィについて
「乳がんの検診に使われるレントゲンの機械“マンモグラフィ”は、10代・20代では被ばくのリスクが高く、乳がんの原因にもなりかねない」と、ある先生がインタビューでこたえていました。
母が乳がんになったのは私が18歳の時で、その年から私は毎年、律儀に検診を受けていました。インタビューを読み、「そんなリスクのことなどみじんも気づかず、なんて自分は愚かだったのだろう」と後悔をしました。また「なぜ当時、検診の先生は何も言ってくれなかったのだろう」とも。検診によってかえって乳がんになってしまったのだとしたらおかしな話です。
とは言え、マンモグラフィ検診の被ばく量は、飛行機でアメリカまで移動した間に浴びる量とそう変わらないそうです。
若いうちは、乳がん検診では超音波の検査だけでいいとも言われますが、しかし20代で乳がんになってしまう人もいますから、被ばくのデメリットよりもメリットを選んだほうがいい場合もありそうです。
乳がん治療の記録【18】乳がんになった原因探し
「原因探しをしてしまうのは自然な流れ」と看護師さんはおっしゃいます。やめようと思っても、むずかしいです。ある程度、気が済むまでやってもいいのではないかと私は思います。原因探しをし尽くしたらやっと次に行ける、というタイプの人もいるでしょう。
私はまずストレスが原因ではないかと疑いました。私は子どものころから、親から暴言を吐かれたり、理不尽な扱いをされたりしてきました。大人になってからも心の傷が癒えず、さまざまな心の病も経てきました。そういったものの積み重ねでなったのではないかと思いました。
また、乳がんは女性ホルモンによる影響が大きいと言われます。かつて摂食障害や神経性胃炎になった時に生理が止まり、女性ホルモンの注射を定期的に受けていました。
他にも、若いうちから乳がん検診でレントゲンを受けていたからかなとか、デスクワークで運動不足だったからかなとか、いろいろ考えました。また母と叔母と祖母が乳がんになっているので遺伝もありそうです。
ちなみにネットには「パンを食べると乳がんになる」「牛乳を飲むと・・・」「大豆を食べると・・・」など、たくさんの説が出てきます。うそかほんとかはわかりせまんが、心がまいっている時などは振り回されて立ち行かなくなりそうなので注意が必要です。
乳がん治療の記録【17】病気になるのは“負け”ではない
乳がんになったことと、入院・手術の日程などについて、各方面に伝えなければなりません。私はフリーランスで文筆業・挿絵業をしていますので、先方にスケジュールを調整していただく必要が出てくるからです。また場合によっては、代わりの方にお願いすることもあるかもしれません。
先方にお伝えすると驚かれましたが、入院中や手術直後にゆっくりできるようスケジュールを前倒しして下さるなどご配慮いただきました。ご迷惑をかけて申し訳なく思いつつも、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、友人・知人にも伝えました。頻繁に会ったり連絡をとったりしているのに、何も言わなかったりごまかしたりすることが私にはできません。みんな、心配や共感、励ましやお祈りをしてくれました。また病気や病院についての情報やアドバイスもくれました。優しさに触れて、涙が出ます。
母は自身が乳がんになった時、それを他人に隠していました。病気になったことを“負け”と感じたのでしょうか。彼女は昔から「他人の不幸は蜜の味。みんな、ひとの不幸を面白がっている」と言っていました。だから自分が病気になったら、他人がほくそ笑むと思っているのでしょう。
病気になるのは残念ではあるけれど、“負け”になるわけではありません。少なくとも私の知人・友人で、病気になったと聞かされて勝ち誇る人など皆無でしょう。
病気になったことをアピールすることはないけれど、日頃から付き合っている人には伝えたほうがいいと感じます。伝えないことで不信感を抱かせたり、不誠実な印象を与えてしまったりすることのほうが私は嫌です。
乳がん治療の記録【16】がん保険について
母が乳がんになったのは私が18歳でしたが、その時に“がん保険”に入りました。25年間以上、毎月保険料を支払ってきましたが、ついに利用する時が来ました。本当は利用しないにこしたことはなかったのですが・・・。
ちょうど一年前に保険の見直しもしていたので、最新のがん治療の状況にも見合っているはずです。早速保険会社に電話をしました。担当の方はおっしゃいました。
「まずは、この度のご病気については心よりお見舞い申し上げます」
「あ、はい・・・。ええと、ありがとうございます・・・?」
思えばこのタイプの言葉をかけられたのは初めてなので、なんて答えていいのかわからずあたふたとしましたが、はたしてこれで合っているのでしょうか。
保険会社からは、お医者さんに書いていただく診断書と私が書く書類の2通が送られてくるそうです。それを記入して提出すれば、相応のお金をいただけるそうです。
私の入っているがん保険では、手術は20万円、入院は1日につき5000円をいただけるそうですので、それらにかかるぶんのお金は十分にまかなえそうです(余るくらいです)。
制度や保険のことを知ると、病気になっても社会に守ってもらえているような感覚を得ます。「寂しくなんかないねー」と安心感をおぼえました。
乳がん治療の記録【15】高額療養費制度について
全ての人が安心して医療を受けられるようにするための制度があることを私は初めて知りました。“高額療養費制度”です。患者さんの医療にかかる一ヶ月の金額に上限を設け、それ以上は払わないでもOKにしてくれる制度です。
上限額は年齢や年収によってまちまちですが、例えば65歳以下の人で年収が300万円の人なら、手術(保険対象内)に100万円かかったとしても、6万円ほど払えばよいことになります。支払いの際に病院の窓口で“限度額適用認定証”を提示します。
この認定証をいただくため、早速市役所の保険年金課に電話をしました。保険証の番号を伝えると「近日中に発送しますね」と職員の方はおっしゃいました。
届いた認定証は画用紙を三つ折りにしたような簡素なものでした。DMと間違えてうっかり捨ててしまいそう・・・。保管場所には気をつけなければと思いました。