乳がん治療の記録【46】夜驚(やきょう)症
手術した日の夜は一睡もできませんでしたが、その翌日の夜は就寝9時になると脳が「さすがにもう寝てくれ」と言っているようで、貪るように入眠できました。
「お父さん!」
自分の怒声に目が覚めました。やってしまった・・・。夜中の3時です。恐れていたことが起きました。
向かいのベッドのKさんにも「え!?」と驚かせてしまいました。申し訳ない・・・。病棟中に響いたかも・・・。
私は数年前より夜驚(やきょう)症がしばしば起きます。親に虐待されていた子ども時代のことを夢に見ては、「なんでそんなことするの!?」「ひどいよ!」「もうやめて!」などの寝言を大きな声で上げてしまうのです。
虐待されていた人の中には、30、40代になってからそのようになる人がいるようです。私のように自分の寝言で目が覚めてしまう人もいれば、なかなか覚めずにずっと叫んでいる人、なかには眠ったまま暴れてしまう(周囲の人を殴ったり、逃げ出そうとしたりする)人もいるとか。
私の本日の夢は、洗濯を一向にしないことについて母に不満を示したら、母が箸を持って暴れ出し、子どもの私が必死で止めているのに、我関せずの父の態度に怒っての「お父さん!」でした。
家事もせず子育てもせずにやりたい放題の母親と、それを見て見ぬふりをしてきた父親への怒り。長い年月封印してきたそれらの感情が、最近やっとこのようなかたちでもあらわれるようになりました。
経なければいけない過程だと感じていますが、しかし深夜の病棟での夜驚症は他の方々にご迷惑きわまりないです・・・。
乳がん治療の記録【45】術後せん妄?
午後、別室に行き、退院後の生活についての説明を受けました。昨日の今頃は体の一部を切り取る手術をしていたというのに、すでにもう立ったり歩いたりしゃべったりして普通に過ごせるなんて、よく考えたらすごいことだなぁと思いました。痛み止めの飲み薬のおかげで痛みもありません。
夕方ごろから、なんだか頭の中がふわふわしてきました。見えるもの聞こえるものが何かおかしい。夢の中にいるような、嘘の世界にいるような・・・。
例えば、ベッドの上にいると、右手側が長く続く廊下のような気がするのです。でも、見ても廊下はありません。左手側にはエレベーターがあるような気がするのです。窓しかないのに。ベッドの頭側はもちろん壁ですが、広場が広がっているような気がし、そしてベッドが傾いている気がします。
きわめつけは、棚の上の荷物が人の頭のように見えました。「怖い!」と思いました。小耳にはさんだことのある「術後せん妄」というやつではないだろうか・・・。
調べてみると、手術や麻酔の影響で妄想のような状態が起こることがあるようです。人によっては暴れ出すそうです。
「夜中暴れちゃったらどうしよう・・・」
また新たな不安に襲われました。
乳がん治療の記録【44】シバリング(全身麻酔後の体の震え)について
手術は室温の低い部屋で行われているそうです。患者は裸なので、どうしても体は冷えてしまいます。特に足や手などの末梢は冷たくなりやすいです。本来なら体が冷えると自身の体温調節機能が働きますが、全身麻酔によりその機能は停止中。
なので手術が終わると、体は元の体温に戻そうとして一気に奮闘し出します。体を震えさせることで発熱させようとします。発熱させると酸素もそれだけ必要になるので、呼吸が苦しくなります。
シバリングが起こっている時にかけられた電気毛布は暑く感じましたが、やはり必要なアイテムのようです。すごく暑いけれど、すごく寒い。それはそのせいなのです。
もともと冷え性な人、特に抹消が冷えやすい人、また、乗り物酔いしやすい人、そして女性のほうがこういった麻酔後の反応が出やすいとのこと。私は全て該当・・・。
朝日のまぶしさに目を開けると手術が終わっていた、というのはドラマの話のようです。同性の友人たちに聞くと、「私もガタガタ震えた」「気持ち悪くなった」「吐いた」という声が多かったです。
乳がん治療の記録【43】立つ、そして食べる
早朝、まだ暗かったのですが、懐中電灯を持った看護師さんが来て下さり、カテーテルがはずれました。私をベッドに拘束するものがやっととれました。
看護師さんに支えられながら、ゆっくりと起き上がりました。18時間ぶりに立ちます。余裕で立てました。朝はおかゆです。36時間ぶりの食事です。
隣のベッドのMさんと昨夜について、「腰が痛かったですね」「寝返りもできずしんどかったですね」と気持ちを分かち合いました。隣室のSさんにも廊下でお会いし、「長い夜でしたね」と言うと、深くうなずいておられました。
午後には点滴もはずれました。管がささっていたところが小さなあざになっていましたが、Mさんは大きなあざになっていました。「これをさした麻酔科の先生がチャラくて、さすのも下手だった」らしいです。どれくらいチャラかったのか気になります。
乳がん治療の記録【42】絶対安静の長い長い夜
手術が終わったのは夕方で、これから絶対安静の夜が始まります。寝返りすらできません。精神的にもつらいけれど、腰も痛くなるし背中も凝るしで身体的にもとてもつらいです。寝たきりの生活というのはこうことなのだなと身をもって知りました。
隣のベッドのMさんの「痛い~」「は~」というつぶやきが断続的に聞こえます。けれど寝息も聞こえます。私は一睡もできませんでした。
2時間おきに看護師さんが様子を見に来て、点滴を変えたりして下さります。忘れずに来て下さるのがありがたいです。点滴は吐き気止め、痛み止め、抗菌剤、栄養剤などを次々としているとのこと。これだけしたらお小水がすごそうですが、カテーテルなるもので自動排出されているらしいです。
ウォークマンでラジオを聴きました。いっぱいつながれている管にイヤホンのコードがからみます。無線にするべきだったか・・・。ラジオを聴きながら、あと何時間で朝になるかを逆算しながら過ごしました。
「まだ9時。あと9時間か・・・」
「深夜ラジオが始まった。0時か・・・」
「そろそろ3時かな。いや、まだ2時だ・・・」
「早朝ラジオが始まった。もうすぐ・・・」
「外はまだ暗い。早く明るくなれ・・・」
動けるってありがたい、寝返りできることすら尊い。そんなあたりまえのことを知った長い長い夜でした。
乳がん治療の記録【41】不安を感じさせる呪い
手術後のシバリング(全身の震え)もおさまってきたものの、心はパニックのままでした。
そうだ、私はもともとメンタルが弱かった・・・。いくつもの管でつながれてベッドに拘束されていることにも不安を感じ始めました。
火事や地震やテロが起きたらどうしよう・・・。殺人鬼が来たらひとたまりもないよね・・・。無理に走ったら傷口はどうなってしまうの・・・。また過呼吸が起こりそう・・・。
巡回にいらした看護師さんに弱々しい声で不安を伝えました。「大丈夫ですよ」と看護師さんはおっしゃりました。少しあきれているようでしたが、確信のある「大丈夫ですよ」に、大丈夫な気がして落ち着いてきました。
もし母親が、幼いころから私に「大丈夫だよ」と言ってくれる人だったら、私はこんなに不安を感じやすい人にはならなかったのではないかとよく思います。「どうなるかわからないよ!」「どうせだめになる!」と醜い顔で脅してばかりの母親だったから、私はこんなふうになってしまったんだろうと感じます。
入院前に近所の方が「あなたは強い人よ」と励まして下さったことをふと思い出しました。
「私は強い・・・」「大丈夫・・・」
天井を見ながら何度も心の中でつぶやきました。
ポジティブな言葉だけで、不思議と人は強くなれるし困難を乗り越えていけます。ネガティブな言葉だけで、いとも簡単に人はもろくなり崩れてしまいます。
母親がなぜ呪いのようにネガティブな言葉ばかりを浴びせかけたのか、大人になった今も、私はずっとずっと考えています。
乳がん治療の記録【40】手術直後/シバリング
乳がんの全摘手術の麻酔から覚めて最初に感じたことは「気持ち悪い」でした。そして見えたものは、乗せられたストレッチャーから見上げた先生方のお顔でした。
「気持ち悪い・・・」としぼりだすように言いました。ストレッチャーで右に左に走らされるとさらに酔います。「病室で吐き気止めの点滴をしますからね」と聞こえました。「シバリングが起きてる」という声も。
シバリング?体がすごい震えているけど、もしかしてこれがシバリング?英語で表記すると・・・Shivering?あぁ、きっとそうだ。たしかにShiverしてる、ひどくShiverしてる・・・。
電気毛布をかけられました。暑い!でも全身が冷えきっていて震えます。寒い!どっち??
呼吸が苦しくて、汗がとまりません。酸素マスクがつけられました。手足がガタガタと揺れ、歯はカタカタと音が鳴ります。パニックです。そしてなにより気持ちが悪い。去ろうとする看護師さんに「ここにいて下さい」と思わず泣きつきました。
枕元に置いて下さっていた桶に顔だけ横を向いて吐きました。絶食しているので胃液しか出ませんでしたが、吐いたら気持ち悪さがなくなりました。シバリングもおさまってきました。
乳がん治療の記録【39】左乳房全摘手術
同室のMさんが私よりも先に手術です。Mさんは昨日も今朝もとてものんびり構えていらしたのに、手術に呼ばれる5分前になって急に「どうしよう!緊張してきちゃった!」とあわて出したのがちょっと可笑しかったです。「がんばって!」とお見送りしました。
知人・友人たちからLINEが届きます。この病院の方向に向かって祈りを送ってくれているそうです。私はそれらをキャッチしました。
看護師さんが迎えに来て下さり、徒歩で手術室へ向かいました。手術室は機械がいっぱいあって、近未来の宇宙船内のようでした。
なまぬるい台の上に横たわりました。ゼリーのような柔らかい輪っかの枕に頭を乗せました。右手に点滴が刺され、麻酔科の先生がもくもくと煙が出るマスクを口の前にかざすと・・・意識がなくなりました。
と思いきや、ふと、また意識が戻りました。数人の先生方が青い手袋や手術着を身に付けているところでした。「み、見えているんですけど・・・」と言いたいが言えません。焦っているうちにまた意識がなくなりました。
乳がん治療の記録【38】手術当日の女子会
今日は手術です。さようなら、左胸。寂しいです。44年間いっしょに生きてきたので。でもここにがんがあるのはもっと嫌です。
500mlのペットボトルの経口補水液を2本渡されました。今日の食事はこれのみです。
同室の4人と病室の中心に集まっておしゃべりしました。60代のDさんは今日退院されます。同じ日に手術を受けた方々はすでに退院され、ひとりだけ入院が長引かれていたそうです。手術した箇所には血液やリンパ液などを排水するために管(ドレーン)がさされるのですが、その排水がなかなか終わらなかったのだそうです。
Kさんが「ドレーンの量は胸の大きさに比例するようですよ」とおっしゃっていて、たしかにDさんは胸が大きい方でした。「じゃあ、私は胸が小さいからすぐ終わる!」「私も!」「私もだ!」などと言ったりして、みんなで笑いました。
Dさんが退院されると、次にNさんという20代の女性が入院して来られました。手術前に抗がん剤をされたようで、ピンク色のふわふわのかわいい帽子がよく似合っていました。ご本人もほんわかとしたかわいらしい方でした。
「乳がんになる人は優しくてかわいらしくていい人ばかりなんだわ」と自分に都合良く定義づけをしてみました。
乳がん治療の記録【37】全身麻酔とはそういうもの
Kさんが手術を終えて戻って来ました。数時間前まで明るくしゃべっていたのに、意識朦朧としてベッドに横たわってぐったりしていました。
のどが渇いていないかな、気持ち悪くないかな、痛くないかな、と心配になりました。全摘をした胸を見たらどう思うかな、とも・・・。
Kさんは今晩は絶対安静で、ベッドから一歩も動けないばかりか、寝返りもほとんどできない状態です。つらかろう・・・と胸が痛くなりました。とはいえ明日はわが身。また気持ちが落ち込んできました。
お医者さんをしている友人から「全身麻酔ってそういうものだし、そのほうが体は楽なんだよ」とLINEが届きました。たしかにそうなのかも。そしてKさんは少しずつおしゃべりができるようになってきました。ほっとしました。
就寝時間は9時です。眠れません。窓際のベッドでしたので、ブラインドの隙間から月が見えました。深夜ラジオを聴いて、早朝ラジオも聴いて、少しだけうとうとして朝になりました。