考えるつゆくさ

毒親の問題などについての考えをつづります。また、乳がん治療の記録も綴っています。

乳がん治療の記録【12】乳房再建について

「全摘はしますが、乳頭だけを残して手術と同時に再建もできますがどうしますか?」

そう先生に言われた時、うれしくて涙が出ました。再建とは、手術で取り除いた乳房の中身のかわりにインプラントなどを詰め、もともとの見た目と変わらないようにする方法です。

どうやら私にもふくらみや乳頭がなくなってしまうのは寂しいという女性らしい気持ちがあったようです。今まで特段自分の乳房に思いをはせたことはなかったのですが・・・。

再建をするのは形成外科の先生で、手術の途中でバトンタッチされるそうです。後日、形成外科をたずねて相談してみることになりました。

 

涙する私に看護師さんがおっしゃいます。

「何かあったら一人で抱えこまないで私たちに言って下さいね」

そんな優しいことを言われたらますます涙涙涙・・・。

 

ちなみに乳頭にがんができることもないわけではなく、そこもすぱっと切ってしまうのが一番安心ではあるのだそうです。でも、再建したい気持ちや残したい思いのほうが強いなら残すことも選べます。 

乳頭を残すか残さざるべきか・・・。自分の乳頭のことでこんなに迷い悩む時が来るなんて、今までの人生で予想だにしなかったです。

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残すか残さざるべきか・・・

 

乳がん治療の記録【11】手術日が決まる

手術を担当してくださる先生との顔合わせです。きびきびとして賢そうな40代くらいの女性でした。

「せっかく早期に見つかったのに手術しなくちゃいけないのでしょうか・・・」

私はずっと思っていたこと言いました。

「せっかく早期に見つかったのに手術しないのはもったいない!」

先生はおっしゃいました。 そうなの?

 

がんにものんびりしたタイプとがつがつしたタイプがいるそうです。また、どんな薬が効きやすいかなどもタイプ別できるそうです。それらの分類を“サブタイプ”と呼びます。

生検で吸い取った組織を病理医さんが顕微鏡で調べて、私の乳がんのがんのサブタイプをすでに出してくれていました。“HER2(ハーツー)”という項目は“がつがつ度”で、陰性だとのんびり、陽性だとがつがつです。

 

私のがんはHER2陽性のがつがつタイプでした。日本人の乳がんのがんの7割がHER2陰性なのに、残りの3割に入ってしまっていました。がんががつがつしているので、私がうかうかしているうちに、しこりをどんどん作り出す可能性もなきにもあらず。「手術しないともったいない」のは、そういうことだそうです。

 

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病理医さんが顕微鏡をのぞいてサブタイプを調べてくれる

「手術日は一ヶ月後のこの日でどうですか?」

カレンダーをさしながら先生がおっしゃいました。

「え?もう手術日が決まるのですか?ええと・・・はい、大丈夫です・・・」 

でも、まだ心の準備ができていませんので、

「あの・・・キャンセルしたくなったら、キャンセル料はとられますか?」

と念のため聞いてみました。

「ホテルじゃないんだから」

先生は笑いながらおっしゃいました。

 

キャンセル料はとられないようです。

 

乳がん治療の記録【10】MRIとCTの検査

手術の前に検査がいくつかあります。血液検査や尿検査、心電図検査などは健康診断でもおなじみですので慣れたものです。しかしMRIとCTは初めてです。

 

MRIでは電磁波で乳房の中を撮影します。がんがどれくらい広がっているかがわかるそうです。分厚い鉄の扉を開いて検査室に入ると、ピザの窯のようなでっかい機械がありました。技師さんの案内でストレッチャーにうつ伏せになります。機械から大きな音が出るということで耳にヘッドホンがかけられ、手もとには具合が悪くなった時用の呼び出しボタンが渡されます。そしてまさにピザのように窯に・・・いや、機械の中にストレッチャーごと滑り入れられていきます。

「では、始めますね」と言って、技師さんたちは検査室の外に行ってしまいました。「怖い・・・寂しい・・・」と閉塞感と孤独感で手に汗をかきます。ボタンを押したい気分に駆られますが、がまんがまん・・・。 

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ピッツァの気分

機械が大きな音を立て始めました。ドンドンドンドン、ビービービービー、ガッコガッコガッコッガコ・・・。大きな音も恐ろしい。ヘッドホンからは洋楽がうっすらと流れています。a-haの『Take On Me』でした。なぜ80年代。「ラジオが聞こえればいいのにな。ナイツや華丸大吉がしゃべっていたら落ち着くのに」と思いました。

ふいにドンドンドンの音があやまんJAPANのポイポイポイに聞こえてきて、まぶたの裏であやまんたちが陽気に踊り出しました。だいぶ気がそれます。そして大きな音にもだんだん慣れてきたところで20分のMRIは無事に終わりました。窯を出ながら、「ありがとう、あやまんJAPAN」と思いました。

 

一方、CTの検査はとても静かで、大きなドーナツのような機械の輪の間で3分ほど仰向けになっているだけで終わりました。CTではX線で体の断面図を撮影します。乳房周辺にもがんがないかを調べます。

検査中、「放射能がぁ~~~」と思いました。もちろん何も感じませんし、何も見えませんが。検査後、気のせいでしょうが、こころなしかふらふらし、目が充血し、吐き気がしました。と言いながら、お腹が空いたのでケーキを食べて帰りました。

 

後日、MRIとCTの検査の結果が出ました。「がんの広がりは直径3.5㎝」「乳房周辺にはがんはないようだ」とのことでした。

 

乳がん治療の記録【9】病気になった人を責める人

私が乳がんと言われたのは、安倍さんが総理を辞任した時でした。辞任の理由は病気によるものでした。

あるラジオの人が「安倍さんはまたほっぽり投げた」「病気で政治判断ができないなんてことありますか?」「安倍さんは“病気の人は仕事ができない”というイメージを植えつけた」などと言っていて、嫌な気持ちになりました。

 

私は乳がんと言われた日から数日間は気持ちが落ち込んでいて、いつもよりいろいろな判断がしづらかったです。ちょっとしたものを買うのでも、どちらにするかをすぐに決められず、買ってから「こっちじゃなかった・・・」と思ったりしました。また、私は挿絵業をしていますが、女性の服の色を何色にするかどうかもいつもならすぐに決められるのに、とても時間がかかりました。

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何色にするか、決められない決められない・・・

 

かつて神経性胃炎やうつ病になった際、心身が正常でなければ正常な判断はし難いことを感じました。また、それによって仕事を続けることが困難になると、「甘い」と批難してくる人が少数ながらいることも知りました。

 

私が判断すべき内容などはとるにたらないことですが、政治のような重要な判断をするには心身が弱った状態では難しいだろうと思います。病気によって物事を途中で辞めざるをえないことはあるはずです。

ラジオの人は病気になった経験がなくてわからないのかもしれません。でも人には相手の立場で考えてみるという能力があるので、経験がなくても想像はできるはずです。

 

安倍さんのことを好きだろうと嫌いだろうと、「大変でしたね。お大事に」くらい言ってあげればいいのにと思いました。

 

乳がん治療の記録【8】乳がんの先輩たちに連絡

乳がんと言われた日は、帰宅後もずっとしょんぼりしていました。「今日くらいは落ち込んでもいいよね」と思いました。

 

「もし乳がんだったら真っ先に連絡しよう」と思っていた人が二人いました。乳がんを経験した学生時代の同級生のUさんと年上の作家のYさんです。

 

Uさんはまだ30代だった時になりました。手術と抗がん剤の治療を経て、今はホルモン剤の治療は続けていますが、元気に子育てをしています。Uさんに連絡をすると、びっくりしながらも、「先生を信頼してお任せすれば大丈夫!」「気持ちを楽にね!」と励ましてくれました。また、今後の治療についてや、高額医療費制度とがん保険のことなども教えてくれました。

 

Yさんにも連絡しました。Yさんは全摘をし、抗がん剤ホルモン剤の治療も乗り越え、その後20年間意欲的に創作活動をされています。「何でも聞いて!不安も悩みも聞くよ!」「胸がなくなっても、あなたは変わらないから大丈夫!」と心に寄り添ってくれました。全摘後には前開きブラジャーが便利なことや胸パッドのことなども教えてくれました。

 

乳がんの先輩たちがいて心強く、そしてその優しさがありがたくて泣けました。 

 

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術後は取り外ししやすい前開きがよいそうです

 

一方、同じく乳がんの経験者でもあるはずの母が私にかけた言葉は、「うちの家族はみんな病気になる」「魑魅魍魎のせい」「あんたもまた次の病気になる」です。昔からこんなことしか言えない彼女こそが魑魅魍魎なのではないかと常々思っています。 

 “言霊(ことだま)”という言葉もあるように、あたたかい言葉や希望のある言葉を口にしているほうが、明るく幸せな人生を過ごせるのではないかと私は思っています。

 

乳がん治療の記録【7】乳がんと言われた日

病院から出ると悲しくなってきて泣きました。歩きながら「何がいけなかったんだろう、あれがいけなかったんだろうか、これのせいだろうか」と原因を考え始めました。 

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街路樹が黄葉していたのをぼんやりとおぼえています

「自分の体にストレスをかけてしまっていたんだろうか」「きっとそうだろう、私はすぐ自分を追いつめる」「自分が悪いと思って、反省ばかりしているから」「呼吸していることにすら罪悪感を抱いてしまうのはなぜ」「自分に優しくしていない、全然していない」と駅のホームでもうなだれていました。

 

しかしながら「いずれ乳がんになるかも」とうっすらと思ってはいました。なぜなら母も叔母も祖母も乳がんになっているからです。乳がんが遺伝することはよく聞きます。だからこそこまめに検診に行っていたのですが、いざなってみるとちゃんとショックでした。「検診に行ったばかりに見つかってしまった・・・。友だちに検診をすすめるのはやめよう・・・」というおかしな考えもよぎったくらいです。

 

母に乳がんであったことを告げると予想通り心配してくれるわけもなく、「あたしだって乳がんになった!」「あたしなんて二回もなった!」と言いました。彼女はなぜいつも他人と張り合おうとするのか。私にはわかりません。娘はまだ一回だが自分は二回だとなぜ勝ち誇っているのか。理解に苦しみます。

 

娘の体を心配してくれる普通の母親が欲しかったと、大人になった今でも思います。そして歳を重ねるごとに哀しくなります。

 

乳がん治療の記録【6】浸潤がんと非浸潤がんについて

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乳房内には乳管がはりめぐらされている

 

ほとんどの乳がんのがん細胞は乳管の中から生まれます。乳管とは、母乳を作る乳葉と母乳が出る乳頭の間にある通路です。乳房内に放射線状にはりめぐらされています。

 

いわゆる“しこり”になる浸潤がんとは、がん細胞が乳管の壁を突き破り、管外で増えたもの。一方、非浸潤がんとは、乳管の壁を破らずに、管内でのみ増えていきます。しこりのまだできていない早期がんではありますが、細い乳管をうねうねと進んでいくので、がんのある範囲は広くなってしまいます。

 

しこりが小さい場合の浸潤がんですと、がんのある範囲としては広くはないので、その付近を取り除くだけの乳房温存手術も可能です。しかし非浸潤がんは範囲が広くなるため、乳房切除手術いわゆる“全摘”になることが多く、私の場合もそうであるとのことでした。

 

「全摘……」


いまいちピンときません。自分の左の乳房がなくなるのが想像できません。44年間連れ添ったものがなくなるなんて……。  

 

次回の来院からは実際に手術を担当される先生の診察に替わるとのことでした。ため息をつきながら病院を出ました。

 

 

乳がん治療の記録【5】マンモトーム生検の結果を聞く

生検の結果が出るまでの2週間は落ち着かない日々でした。とは言えただ待つのみで、どうがんばりようもないのでなるべく普通に過ごすようにしました。人にも会い、テレビも見て、仕事もしていました。

 生検の結果を聞きに病院へ。先生はおっしゃいました。

 「いい結果ではありませんでした。非浸潤がんでした。」

それを聞いてまず「は~、めんどくさいな~」と思いました。入院して、手術して、痛い思いや苦しい思いをするのは、どう考えてもめんどうくさいです。私は人一倍めんどうくさがりやなので、それらに耐えられるかどうか自信がありません。

先生は乳がんについての冊子を開き、乳房のイラストを指し示しながら、非浸潤がんの説明をして下さりました。

 

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病院オリジナルの冊子でした

 

乳がん治療の記録【4】マンモトーム生検後

恐怖のマンモトーム生検は無事に終わりました。でも、さらなる衝撃はお会計で24100円と伝えられた時でした。高っ!2万あれば余裕で足りると思っていたのに……。手持ちがないのでクレジットカードで払いました。このタイプの生検は手術扱いになるので高額なようです(手術扱いということは、医療保険の対象になる場合もあります)。

 

外から見える傷口は針をさした小さな穴だけです。傷口に貼ったテープに少し血がにじんでいます。帰宅後、麻酔が切れ始めると少し痛くなりました。教えられたようにアイスノンで患部を冷やし、処方された痛み止めを飲みました。

 

 

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傷口は針の穴のみ


翌朝にはもう痛くはありませんでした(しかし2ヶ月くらい、時々ちくっとしました。外から見える傷口は小さくとも、乳房内の組織をちぎり取ったわけですから、それなりの怪我のような状態です)。

ひと昔前の生検はメスで切って開いて取り出すような外科的方法だったようですが、小さな穴だけで済むようになって良かったです。


生検で吸い取った組織の中にがんがあるかどうかは次の来院でわかります。不安で落ち着かない2週間でした。

 

乳がん治療の記録【3】マンモトーム生検を受ける

生検の日の待合室では逃げ出したい気分でした。乳房に太めの針をさして中身を吸い取るなんて、どう考えても怖いし痛そうです。

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右のように細長く組織が吸い取れるそうです


私は何かあるとすぐに不安に押しつぶされそうになります。母親に「どうせできっこない!」「うまくいくわけがない!」とネガティブなことしか言われないで育てられたせいかと思っています。待合室で過呼吸になって倒れそうです。

深呼吸をしながら、ポジティブのかたまり、アンミカさんが耳元で声をかけてくれる妄想をしました。「ええやん、ええやん、これも経験やん。検査してもらって本当のことがわかったら一番ええやん」。

少し力が湧いてきました。ポジティブな声かけは人の心を強くする魔法です。そういう考えが自然とできるような育てられ方を初めからさせてもらえたらよかったです。

 

名前を呼ばれました。アンミカさんに背中を押されながら私は検査室へ向かいます。

今回の生検は“マンモトーム生検”という名称で、マンモグラフィーの検査の時のように乳房を板ではさんで、レントゲンを使いながら行われます。

前開きの検査着に着替え、横向きに寝ます。そしてレントゲンを見ながら、がんのいそうな石灰化のある付近を狙って針をさし、組織を吸い取ります。

麻酔の注射は痛くはありませんでした(痛いと感じる人もおられるようです)。吸い取る時も、麻酔が効いているので何も感じませんでした。技師さんや看護師さんたちはてきぱきと作業されます。こまめに「気分悪くないですか?」「順調に行ってますよ」と話してくださるのがありがたいです。あるとなしでは安心感が全然違います。

 

20分くらいで終わりましたが、「寒いですか?」と聞かれるくらい足が震えていました。アンミカさんのポジティブさをもってしても、やはり怖かったようです。